今回の動画は今年のライブツアーの裏話(大阪城ホールと横浜アリーナでのライブを終えた段階での中間報告)という内容でした。
今回も音声学的に興味深い発音が色々出てきていたので、その中からアクセントに関する話題をピックアップしてみます。
今回は冒頭・締めのあいさつともにありましたが、最近の傾向として冒頭あいさつに効果音ががっつり被さってしまっているというのがあり、今回もそれに該当してしまっていました。
アクセントには単語の意味を区別する機能(弁別機能)があります。
子音・母音の構成は全く同じでもアクセントの違いによって意味が異なる語のペア(「飴 vs. 雨」、「高校・孝行」、「切る・着る」など)がありますが、それはこの弁別機能によります。
一方、アクセントには単語のまとまりや切れ目を表す機能(境界表示機能)もあります。
例えば、「日本舞踊協会」は、「日本にある舞踊協会」という解釈と「日本舞踊に関する協会」という解釈があり得ます。
構造的には、前者が「日本+舞踊協会」で後者が「日本舞踊+協会」という切れ目になっていますが、それぞれ発音してみると、アクセントの出方は以下のようになります(高いトーンを太字、低いトーンを下線で表示しています)。
日本+舞踊協会 | にほんぶようきょうかい |
日本舞踊+協会 | にほんぶようきょうかい |
また、会話などでは助詞が省略されることも良くありますが、その結果として見た目が複合語のように見えてしまうケースがあります。
例えば、「西畑は大学生の役だ」という文があったとして、この文の「は」が省略されて「西畑大学生の役だ」となると、文字だけだと「(私は)西畑大学という大学の学生の役だ」という解釈も可能になってしまいます。
ただし、その場合も以下に示すように「にしはただいがくせい」の部分のアクセントが異なってくるので、元の構造がどうなっているのか(助詞の省略なのか、複合語なのか)が分かる場合があります(※「にしはた」は単独では「にしはた」なので、複合語アクセントになると単独のアクセントとは明らかに異なってくるので分かりますが、「おおにし」「みちえだ」「ふじわら」「おおはし」など単独で読んだ時に平板型の語の場合は、複合語アクセントになっても単独で読む場合とアクセントパターンが同じになる(複合語後部要素に若干の違いが出る可能性はありますが、絶対とは言えない)ので区別が付きにくくなります。「わかる場合があります」というのはそういう意味です)。
アクセント | 解釈 |
にしはただいがくせいの・・・ | 西畑(は)大学生の(役だ) |
にしはただいがくせいの・・・ | 西畑大学の学生の(役だ) |
以上の例から、アクセント型が異なると単語の切れ目(意味の違い)も変わってくることが見て取れるかと思います(言い換えると、アクセントに単語のまとまり・切れ目を示す機能があるということですね)。
さて、前置きはこれくらいにして、今回の動画の中に「たこ焼きあるある」という単語が出てきていました。
「たこやき」と「あるある」をそれぞれ単独で言う場合には「たこやき」と「あるある」ですが、これを合わせて複合語にすると「たこやきあるある」のように単独で読むときのアクセントを単に組み合わせたのとは別のパターンを取るかなと思っていました(「ふくおか」と「だいがく」を足したら「ふくおかだいがく」ではなく「ふくおかだいがく」となるのと同様)。
が、実際に藤原氏がした発音は「たこやきあるある」でした(ちょっと関西弁が入っているので←の表示は実際の発音とは異なりますが、とにかく複合語アクセント(途中まで高くて最後にかけて下がる)になっていないというのがポイントです)。
藤原氏による「たこ焼きあるある」の発音
これだと、「たこ焼きあるある」というひとまとまりの単語ではなく、「たこやき」と「あるある」の間で切れ目があるような印象になり、おそらく間にあった要素が省略された(例えば、「たこやきを買った」が「たこやき買った」となるみたいに、「たこ焼きの話は確かにあるあるですよね」の「の話は確かに」が省略されてしまった)みたいな印象になり、ニュアンスが若干変わってきます。
藤原氏の場合、アクセントを言い間違ってもそのまま気にせず押し通してしまうことも結構あるので、ただの言い間違いなのか、それとも意図的に複合語アクセントを避けたのかはよく分かりませんが、ともかくアクセントの境界表示機能のことを思い出させてくれる一例でした。