用語解説:母音の無声化

一般的に、日本語の母音i, uは以下に挙げるような条件が整うと「無声化」を起こし、母音が消えてしまいます。

一般的に母音の無声化が起こる条件
  1. 母音iやuが前後を無声子音(p, t, k, s, hなど)に挟まれたとき
  2. 母音iやuが文末(ポーズ前)にあり、かつ母音iやuの前に無声子音があるとき

これだけだと分かりにくいと思うので、具体例を挙げて説明していきます。

①母音iやuが前後を無声子音(p, t, k, s, hなど)に挟まれたとき

一つ目の条件が意味するところは、例えば「みちえだしゅんすけ」の「す」(su)のuであれば、前にs、後ろにkがあり、sもkも無声音に該当する音なので、[suke]ではなく[ske]のように発音される、というようなことです。

これが、もしsukeではなくsugeやzukeなどであったならば、g, zが無声音ではないので①の条件に該当しないこととなり、uはそのまま発音されます。

他にも、なにわ男子メンバーの名前に出て来る「し」の音で言うと・・・

①の条件を満たす場合①の条件を満たさない場合
おおはかずや
[ oohaʃikazuya ]

[oohaʃ kazuya]
おおにりゅうせい
[ ooniʃiryuusee ]

変化なし

・・・のように、同じ「し」のiであっても条件によって消えたり消えなかったりします。

では、「たかはきょうへい」の「し」のiはどうなるでしょうか?

ひらがなではわかりにくいですが、[ takahaʃikyohee ]と書くと、iがʃとk(ともに無声音)に挟まれているのが分かります。

ということで、この場合も①の条件を満たすので、[ takahaʃikyohee ] → [ takahaʃ kyohee ]のように変化します。

なお、ここまでの例が「し」や「す」とサ行の音ばかりでしたが、「き」「く」「ち」「つ」「ひ」「ふ」「ぴ」「ぷ」なども同様に条件が整えば母音i, uが消えます(例:「果てな続く道」[ hatenakutsuzukumitʃi ] → [ hatenak tsuzukumitʃi ])。

②母音iやuが文末(ポーズ前)にあり、かつ母音iやuの前に無声子音があるとき

②の条件については、典型的なのは文末の「・・・です」「・・・ます」に出て来る「す」のuで、実際の発音においてはdesuが [ des ]、masuが [ mas ]のように発音されます。

「夢わたし」「なにわだんし」の最後の「し」や、「果てなく続く道」の最後の「ち」についても、「夢わたし。」「なにわ男子。」「果てなく続く道。」のように文末に来ると最後の母音iが消えることが多いはずです。

ただ、文末の無声化には個人差があり、通常無声化する条件が揃っていても無声化せずに発音する人もいます。

例えば、なにわ男子メンバーでは高橋さんは無声化しないことが多い印象です。

呼びかける場合など、発音上最後の母音を伸ばして発音するような状況(「準備の方よろしくお願いします~。」「やってみたいと思います~。」など)では無声化は起こらないのが普通なのですが、高橋さんの無声化しない文末の発音を聞いていると、最後の母音がかなり伸び気味に発音されているので、その影響かもしれません。

その他

無声化に関わる条件

一般に、無声化は話すスピードが速くなったり、話し方がぞんざいになるほど起こりやすくなります。

上述の通り、無声化を起こす可能性があるのは基本的には無声子音に挟まれたi, uですが、話すスピードが速くなったりぞんざいな言い方をする場合にはa, e, oなどの母音も無声化を起こしたり、有声子音の隣にあるi, uが無声化する場合もあります。

また、単語のアクセント型によっても無声化のしやすさが変わり、当該母音が高いトーンで発音される時には無声化が生じにくくなります。

関西の方言では「・・・やりま。」「・・・しま。」などの文末での無声化が起こりにくいと言われていますが、これはアクセント型も影響している可能性があるのかなと思います。

疑問文のように上昇調で発音しなければならない場合、母音が無声化してしまうとピッチ(音程)が消失してしまうので、「やります?」の「す」などは無声化しなくなります。

同様に、メロディーがある歌の場合にも無声化は起こりにくくなります(母音が無声化してしまうとその部分のメロディーの音程が無くなってしまうため)。

そのほか、無声化が起こる条件が満たされていても、無声化が連続して起きてしまうと発音や聞き取りがしにくくなる場合には、無声化が一部生じなくなる場合があります。

例えば、「ちゅきちゅき」が文末に来ている場合であれば、すべての母音が①や②の条件を満たすので、[ tʃktʃk ]のようにすべての母音が無声化してもおかしくないところですが、実際のところは「tʃkitʃki」など、一部の母音を残して発音されることが多いはずです(音響分析で母音の調べてみると、無声化はしていないが完全に母音が出ているわけでもない、といったような中間的な現れ方をすることもよくあることです)。

以上のように、無声化には様々な要因が関わっていて、それらの要因の重なり方次第で無声化の有無やその程度が変わりうることになります。

なお、無声化によって母音が消えるとは言っても、あくまで発音上たまたま消えた状態で発音されているだけなので、日本人同士の会話であれば、話し手としては無声化した状態で発音している自覚はなく、聞き手も母音が消えていることに気づいていない(=音声レベルでは消えていても音韻レベルで消えているわけではない)ため、問題は生じません。

日本語を勉強している外国人からは、同じ単語なのに母音があるときとないときがあってややこしいなと思われているかもしれませんが・・・。

母音の無声化がもたらす印象(?)について

最近のドラマやアニメ等では、通常であれば無声化して発音されるはずの文末の「・・・です。」「・・・ます。」が、無声化しないで発音される例が増えてきているような印象を受けます。

キャラ設定の都合上、あえて無声化しないで発音しているという可能性もありますが、同じ人物でも状況によって文末の「・・・です」「・・・ます」を無声化して発音することもあれば、しないこともあるなど、必ずしも一貫しているわけではないようです。

あくまで個人的な印象であって定量的にきちんと調べたわけではないのですが、無声化しない発音は、緊迫した状況よりは穏やかな状況で、また、強く意見を言うような場面よりは控えめに言うような場面で生じることが多いような印象です。

もしかしたらそういう研究がすでにされているかもしれませんが、先行研究を調べてみてあまりそういった研究がなさそうであれば、卒論や修論などでテーマにしてみても良いのではないでしょうか。

無声化した母音の知覚について

母音の無声化と言っても、無声化しているだけで音響的には母音の痕跡がしっかりのこっているようなケースもあれば、母音の痕跡が完全に無く、音響的観点からは母音が削除されてしまっていると言えるようなケースもあります。

日本語の母音の無声化の場合、後者のケースが頻繁に起こるのですが、それでも日本語を母語とする我々は母音が消えてしまっていることに気づかないのが普通です。

なぜ気づかないのかという点については、心理言語学の分野で知覚実験が行われていて、日本語を母語とする人は、子音しかない音を聞いても母音があると感じてしまうことが明らかにされています。

日本人はこのような知覚上の特徴を持っているため、無声化によって完全に母音が消えてしまってもそこにちゃんと「幻の母音」があると感じ、消えた母音を補完して理解することができるのでコミュニケーションに問題が生じないし、そもそも音が変化していることにすら気づかないのです。

参考:「幻の母音」に関する有名な研究

音声知覚や実験手法に関する基礎知識が無いと読むのが難しいですが、「幻の母音」に関する非常に面白い論文です。ここに挙げたのは比較的古いもののみですが、その後もDupouxらの研究グループによる幻の母音に関する論文が出ています。音声学を専攻している大学院生なら一度は読んでおくと良いでしょう。

  • Dupoux, E., Kakehi, K., Hirose, Y., Pallier, C., & Mehler, J. (1999). Epenthetic vowels in Japanese: a perceptual illusion? Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 25(6), 1568-1578.
  • Dupoux, E., Pallier, C., Kakehi, K., & Mehler, J. (2001). New evidence for prelexical phonological processing in word recognition. Language and Cognitive Processes, 16 (5/6), 491-505.

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